2011/06/15 誰もが歩む道など面白くない カテゴリー:経営人生
人は描いた姿以上にはなれない。
目の前にあるパソコンも紙もボールも。。。そう思うから形になった。
ひとつひとつの物どれをとってもである。
それは人生も同じだといつかの先輩から教わった。
そんなこと言われた時は、まだなりたい自分などもなかったな。
なりたい自分どはどんなものだろうか?
それを探すことから始まったように思う。
決して派手じゃなく、じんわりと時間をかけて探した。
たけしさんの振り子の法則ではないけれど。(良いことの振り幅が大きい人は逆に悪いことへの振り幅も大きい可能性を持つ?だったかな)
ちゃんと見つけられる様に自分自身を磨くことにもチャレンジした。あっ磨くってオシャレじゃないよ。心だよハートね。ま、ハート以外だとジャポニカをつかって字の練習とかも大人になってからやりますた。24ぐらいのときかな。始めて部下の日報とか見る様になって。
サインやコメントするのに字がきたないのはどうだろうと思った事がキッカケ。今思えばアホの一言だけど当時は必死。ずっとあいうえおを書いていた。。。。そんなこんなな20代。
少しづつ思い描く事を知った、見えてきた。そしてその夢達の風呂敷を一人広げてみたのだ。
その楽しさが原動力になっている。風呂敷を広げるにはかなりの度胸と厚かましさが必要性だ。
なにせ自分自身のことだからだれに厚かましいといわれようと関係がないからね。
夢は大きく。
若ければ若いほど描ける経験をしていこう。するとやっぱり面白くなるんだろうな。
誰もが歩む道など微塵も面白くもない。
そんなの眠くなっちまう。
だからいろいろな事に気がつき、幅を広げるに必要性があるのだ。
と前置きは長くなった。